3回連続で、メルモちゃんネタから入るのもなんだけど、僕にとってはメルモちゃんとキューティーハニーは、物心ついた後最初の性欲を刺激されたアニメだったと思う、と一昨日語ったような。でその後、寝ようと思ったら妙に眠れなくて、というのも、
布団の中に入った僕が頭の中でそれが気になって、いろいろと思考しているうちに、このブログのネタとして組みあがってきてしまい、3時半ごろ起き出して、概略をメモったのが、今日のブログのテーマです。ところが実は、今日は、全然普通に生きて、このネタ書いちゃおと思ったんですが、いつもの親友に呼び出されて溝の口まで飲みに行ってしまったため、この「青少年のうんたらかんたら」を書くのが、この時間になってしまった。なので、この前書きが書かれたのだけど、それもこれも、江原啓之なんか信じちゃう僕としては、なんか理由があって、そんなことが間に挟まれたとか思っちゃうw。
さて、メルモちゃんとキューティーハニーだが、僕の一番最初のエロの記憶はたぶん、これだったのだろう。人間てやつは、僕が思うに、性欲を世界の中心にして生きていると思うので、実はこの最初のエロを感じたものというのは、実は人生のいろいろに影響するものじゃないかなー、なんて、メルモちゃんを見てこの四日で思い至った。哲学から言えば、いや、発達心理学から言えば?インプリンティング?あ、これは生物学?発達心理学で言えば、第一次性徴期?哲学で言えば、プラトンの「饗宴」?あれ?一つの魂が二つに別れて、この世に生まれてきたのは?プラトンだよね。相手を探す気持ち、エロス?エロスはアリストテレス?そんな想いを幼少期に教えられたわけだ。
と、暴走の後に、先を進めると、要は、今の若者も多分そうだし、僕の
子供の頃なんて、エロいアニメや漫画に、エロいことを教えられて育ったのではないかということが言いたい。メルモハニーからはじまり、ヤマトのユキのワープ時の下着姿とか、ルパンのOPで服を脱いで不二子ちゃんに飛び込むとことか、ヤッターマン2号が変身する時、赤い下着に包まれた中に、おっぱいの影が映ってたり、ドロンジョ様が負けて爆発した時に、服が破れ飛んでポロっとでたり、メーテルが服を脱いで祈りを捧げたり、してた頃が、僕にとっては、第一次性徴期の発展系。僕は、幼稚園児の頃に、幼馴染の恵子ちゃんと風呂に入って男と女は違うんだー、と興奮したのを覚えている。あの頃、近辺の子供たちは親の思惑とは別にエロいことをしていて、例えば、どうやら親の夜の生活を真似たらしい、小学3年生のゆうこちゃんが僕の一番の友達だったみーちゃんに、背中から手を入れてお尻を触らせていた。僕は、そのゆうこちゃんにそそのかされたらしい、ゆきえちゃんにパンツを下ろされて、女って恐いとおもったことがあった。つまり、アニメのせいか、アニメのせいじゃないか(僕はアニメでエロを教えられたのはともかく、他の子供たちの情報源がアニメだったかは不明だし、むしろ僕よりも進んでいたから)は不明だが、やっぱり男の子にとって、そんなアニメで見る、
女の子たちのエッチなシーンがたまらなかったわけである。僕はやっぱり、メーテルとヤッターマン2号かな。
さて、小学校の高学年に入ってから中学生までは、いわゆる第二次性徴期だったりする。この辺り、スパロボの展開に符合する辺り、何か意味があるのではないかと“深読み”してしまうのは僕だけだろうか(今日の友との飲みで、僕の“深読み”し過ぎを指摘されたばかりなので)?で、その初期に当たるのが、
うる星やつらのラムちゃんのビキニが普段着。
ガンダムのセイラさんの入浴シーン(映画版だけど、僕は、
テレビ版のセイラさんのそれも、ミライさん、フラウのシーンもときめいたよ)、Dr.スランプのせんべいさんが透明人間になって、みどり先生の入浴シーンをのぞきに行った所、まいっちんぐマチコ先生がスカートめくりされるところ、そりゃ夢精を経験する頃の男の子には、刺激が強かったのだよ、当然。僕はたしかー、夢精はまだで、好きな女の子に対してエッチなことをする妄想をしていた頃で、女の子にエッチなことをするってのは、ただ割れ目に手を這わせることだと思っていた、んだけど、それってどういう性
勉強(性教育の反対語としてねw)してきた結果だったんだろう?おっぱいよりも先に割れ目?(おっぱいは母親の象徴でもあるし)ま、ある意味正しい展開か?なので、おっぱい中心のアニメのエロには、今思えば、なかなか素晴らしいサービスなんだけど、そんなにときめいた覚えはない。ただ、マチコ先生のスカートめくりと、あたるのラムのブラを吸引銃で脱がせたシーンと、せんべえさんのエロい努力はやはりときめいた。男は能動的なエロが好きなわけだねぇw。
まだ、二次性徴期の続きなんだけど、その後半に現れた作品が、実は本当の意味での性との
出会いだったりするのだ。この辺りで僕は、あだち充作品と出会うのだ。他にも、桂正和のウイングマンとか、うる星とか脂が乗ってきたとか、バイファムでケイトさんが湖で水浴びをするのを男の子たちが覗くとことか、マクロスでミンメイと輝が二人きりで閉じ込められるとか、美沙と輝が強制されてチューするとことか、本格的に恋を意識していたね。実際、当時の僕は隣りに座っていた由美子を、ミンメイかのように、恋していたものだ。年賀状とか送ったね、敢えてミンメイの花嫁姿だけ描いて左側は空白な奴ね。
そこであだち充作品だが、こいつらが僕の性欲を、まだ子供時代から青少年に発達させた元凶であったかもしれない。それプラス、柳沢きみおの「翔んだカップル」ね。さらに言えば、
ドラマだけど「高校聖夫婦」ね。あー、金八先生のゆきのとたもつもそうだ。翔んだが、特に刺激的でね。原作は漫画なのだけどドラマ化されたのだけど、高校生の男女が、いろいろと事情があって、同じ屋根の下、というか一軒家に二人で生活することになるんだよね。はじめは、お互い警戒していたものの、やはりいろいろと共通の秘密を持っていることから愛が芽生えていくという話。高校にも友達にも秘密で、愛を育むことになるあたり、僕はたまらないほどのエロスを感じだものだ。二人が好きあってることを確認して、はじめてのキスをするとこなんて、エロ美しいよ。その後、僕は、あだち充の、陽当り、みゆきで、同じ屋根の下に住む二人の恋という作品にはまることになるのだが、やっぱり、恋は、同じ屋根の下に住んでなんぼだねー。陽当りは、寮に男女が一緒に住む設定で、みゆきは血のつながらない兄妹が一緒に住むのだ。今でも、僕らは(同年代だったらわかると思うが)、そんな設定にはときめくが、あれはあの当時の流行だったのだろうかね?あー、同棲したいー。
さて、そうやって大人の階段を上った僕は、その後、めぞんの五代君の悶えや、メガゾーンのSEXシーンや、軽シンや、レモンエンジェルを経て、はじめて付き合うことになる女と出会うのだ。アニメからリアルへ!そりゃー、見てるだけのエロよりも、生身の女とするエロの方がいい。そうやって、リアルな女をいじくりまわすと、相手も負けじと返してくるエロというものの方が快感を呼ぶようになってくるのだけど、アニメのエロが僕をそこまで連れてきてくれたからこそ、そんなことが自然にできたのだろう。
その後、PS.追伸、僕が成人してから感じたエロのアニメといえば、エヴァです。さすがに、20代になって、すでに生の女のエロを知ってて、今更アニメのエロでもなかったのに、エヴァのエロはエロかった(韻を踏んでる)。サービス、サービス、ね?シンジ君もね。
まとめ:アニメ作品は、エロくていいんでないかい?
解説:最近は、子供に見せていいとか悪いとか、親が判断するが、そもそも今の親も、当時エロ好きだったじゃん(ほんとは昔の親も)。しかも、エロ見せることが子供に良いか悪いかなんてわかってないじゃん。自分は結局エロであるというとこからはじめてみては?
エロを抑えこむから、エロが暴走するのだ。多分、きっと。(あー、今日の記事は女性には理解されなくてもよいーw)
posted by 愛と野望のまるほ at 02:53| 神奈川

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